「お前の文章、なんかAIっぽいな」と言われて凹んだ話。いったい何を見てる?

「その文章、なんかAIっぽいね」

そう言われた瞬間、胸に小さな石を投げ込まれたみたいになった。
別に怒られたわけじゃない。それなのに、あとから何度も思い出す。

対比

AIっぽさってなんだ?
AIに聞いてみた。

だって、その文章は自分で考えて書いたものだったから。
言葉を選んで、順番を入れ替えて、読みにくくないか何度も読み返した。
誰かを嫌な気持ちにさせないようにも気をつけた。

それを「AIっぽい」と言われた。

文章のどこがそう見えたんだろう。。
そもそも、人は文章の何を見て「人間らしい」「AIっぽい」と判断しているんだろう。

気になりすぎて夜も眠れない。
ので、今回はこの問題を考えてみよう!
結論から言うと、AIっぽさは「AIが書いた証拠」ではない。でも、文章から書き手の気配が薄くなると、そう感じられやすい。
たぶん、そういうこと。

「AIっぽい文章」と言われると、なぜこんなに傷つくのか

「文章が分かりやすい」と言われるのと、「AIっぽい」と言われるのでは、受け取る重さが違う。

前者は文章への評価。
褒められた感じで嬉しい気持ちになる。
後者は、書き手の存在まで薄くされたように感じる。
「あなたじゃなくても書けるよね」と言われたような気がするから。

もちろん、相手にそんなつもりはなかったのかもしれないが。。
単に言葉遣いが少し硬かっただけかもしれないし、見出しや箇条書きが整いすぎていたのかもしれない。実際、見出しはAIと対話して調整したからね。

ここで大事なのは、「AIっぽい」という言葉が、文章の出自を正確に判定しているわけではないこと。
多くの場合は、読んだ人が抱いた印象の話だ。

実際、2025年に発表された研究では、大学講師63人がAIで生成した文章と人間が書いた文章を見分けたところ、AI文を正しく判定できた割合は57%、人間の文章は64%だった。
対象や条件が限られた研究なので、すべての文章に当てはまるわけではない。
それでも、「人間はAI文を簡単に見抜ける」とは言い切れない結果だと思える。

読者の一言だけで「自分の文章はAIみたいだ」と決めつけなくていい。
まずは、そう見えた理由を分解して考えたほうがいい。

AIっぽく見える文章には、いくつかの共通点がある

悔しいので、まずは敵(AI)の懐に飛び込んで、「人間らしさ」と「AIらしさ」の違いを聞き出してみました。まとめると、だいたいこんな感じらしいです。

対比

よくあるのは、文章が最初から最後まで整いすぎているケース。
冒頭で結論を示し、理由を説明し、箇条書きで整理する。最後は「以上のことから、〇〇が重要だと言えます」ときれいに結ぶ。

これは悪い書き方ではない。
むしろ、読みやすくするための基本でもある。
ただ、どの文章にも同じ型が続くと、書き手のクセより「正解らしい形」が前に出てくる。

たとえば、こんな感じ。

  • 断定を避けて、「〜と言えます」「〜が考えられます」が続く
  • 良い面と悪い面を均等に並べる
  • 感情を説明するが、具体的な場面が出てこない
  • 反対意見にも配慮しすぎて、書き手の立場が見えにくい
  • 文章の長さやリズムが、最初から最後までほぼ同じ
  • 便利な抽象語が多く、「大切」「効果的」「本質」といった言葉で締める

最近は「誰も傷つかないように」と慎重になった結果、まさにこの方向へ進んでいた可能性はある。

論理的で、丁寧で、間違いがない。
そこを目指しすぎると、今度は「誰が書いても同じ」に近づいてしまう。
文章の完成度を上げたつもりが、書き手の輪郭を削っていたのかもしれない。

研究でも、AIには独特の文体があると分かっている

これは単なる印象論だけでもない。

2025年にPNASで発表された研究では、GPT-4oやLlama 3などのLLMが、人間の文章とは異なる文法、語彙、文章構造を使うことが調べられている。
特に、指示に従って回答するよう調整されたモデルは、情報を詰め込んだ名詞中心の文体になりやすく、人間のような文体の揺れを再現しにくかったという。

研究では、モデルによっては人間より分詞構文や名詞化を多く使う傾向も示された。
日本語の文章にそのまま当てはめられる結果ではないけれど。
「AIにはAIなりの書きぶりがある」という示唆にはなる。

もっと身近なところで言えば、AIの文章は「感じよく、分かりやすく、抜けがない」方向に寄りやすい。
話題を整理し、角の立たない言い方を選び、読者に役立つ結論を置く。

その便利さが、かえって均一さになる。

チャッピー構文ってのもあるしね。
流行語になるかな。

ただし、ここは注意したい。
特定の言い回しがあるからAI、箇条書きがあるからAI、という単純な話ではない。
人間だって丁寧に書くし、AIだってくだけた文体にできる。
文章の特徴は、判定材料にはなっても、作者を断定する証拠にはならない。

最新情報を入れても、文章の人間味は自動では増えない

ここで別の疑問が出てくる。

AIがもっと新しい情報を扱えるようになれば、文章のAIっぽさは消えるのだろうか。

たぶん、それだけでは消えない。

最新情報を入れることと、書き手の人間味が出ることは別だから。
昨日発売された商品について、発売日や価格、機能を正確に説明することはできるだろう。
でも、「朝から店の前で待っていたら、前の人の香水の匂いがキツかった」「寒さで指が動かなくなった」「手に入れた瞬間、全部どうでもよくなった」といった経験は、情報の新しさとは違う。

AIは、そうした場面を文章としては描写できる。
似た経験をもとに、もっともらしい感情も組み立てられる。
ただ、それはAI自身が寒空の下に立った記憶ではない。

ここを「AIには絶対に書けない」と言い切るのも少し違う。
読者から見れば、本当に体験した人間の文章と、うまく作られた描写を区別できない場合もある。
だからこそ、文章の人間味は「AIが書けるかどうか」ではなく、「書き手が何を見て、何を感じ、何を選んで書いたか」に宿るのだと思う。

人間らしい文章は、きれいに整っていない

では、どうすれば文章に「私」が残るのか。

大げさな自分語りを足せばいいわけではない。
毎段落に失敗談を入れたり、わざと誤字を残したりする必要もない。
それをやると、今度は「人間らしく見せようとしている文章」になってしまう。

まずは、抽象的な感想を具体的な場面に置き換えること。

  • 「大変だった」ではなく、「保存ボタンを押した直後にパソコンが固まって、三十分前の状態に戻った」。
  • 「うれしかった」ではなく、「通知が来たあと、誰にも見られていないのにスマホを伏せてニヤニヤした」。

こういう細部には、書き手の記憶が出る。
事実が小さくてもいい。
むしろ、その小ささが文章の個性になる。

次に、意見を無理に平均へ戻さないこと。
「一方で、こういう考え方もあります」と毎回バランスを取らなくてもいい。
もちろん、事実確認や相手への配慮は必要だ。
でも、何を読んで腹が立ったのか、どこに引っかかったのかまで消してしまうと、文章は急に無難になる。

そして、書き終えたあとに次の質問をしてみる。

  • この文章に、私しか知らない場面はあるか
  • どこで迷ったか、考えが変わったかが分かるか
  • 反対意見を気にしすぎて、主張が消えていないか
  • その言葉を、自分は普段本当に使うか
  • 読者に役立つだけでなく、自分がなぜ書いたか残っているか

全部に答えられなくても大丈夫。
ひとつでも具体的な答えが出れば、その文章には書き手の跡が残りやすい。

AI文章の判定ツールだけで、人間らしさは測れない

ちなみに、「AIっぽいかどうか」を判定ツールに任せれば解決する、という話でもない。

MIT Sloanの解説では、AI文章検出ツールは誤判定が多く、無実の文章をAI生成と誤って扱う危険が指摘されている。
紹介されている研究では、英語を母語としない人が書いたTOEFLエッセイの61%が、7種類の検出ツールによってAI文と誤判定された。

この数字は、英語の学習環境や検出ツールの条件に関する話で、日本語ブログへそのまま当てはめられるものではない。
ただ、検出結果を「人間らしさの点数」と考えるのは危険だ、という点は共通している。

文章の評価で大切なのは、ツールに人間だと認定されることではない。
事実が正しく、読者に伝わり、書き手の責任で公開できることだ。そのうえで、書き手の経験や考えが伝わるなら、なおいい。

「AIっぽい」と言われたら、まず理由を聞いてみる

結局、先日の文章のどこがAIっぽかったのかは、指摘した本人に聞かないと分からない。

言葉遣いかもしれない。
構成かもしれない。
単に、その人が最近よく見るAI文章を思い出しただけかもしれない。
ここは不明のままだ。

だから次に同じことを言われたら、「どのあたりがそう見えた?」と聞いてみよう。
ちょっと怖いけれど、理由が分からないまま文章全体を疑うよりはいい。

今回考えてみて分かったのは、AIっぽさの反対が「雑な文章」ではないということだ。
文法を崩すことでも、わざと変な言い回しを使うことでもない。

文章の中に、自分が見たもの、迷ったこと、選ばなかった言葉を残すこと。
きれいにまとめる前の自分の判断を、全部は消さないこと。

その文章が完璧でなくてもいい。むしろ、少し不器用で、妙に細かくて、そこだけ妙に熱がこもっている。
そういう部分が、書き手の「私」になる。

「AIっぽいね」と言われて凹んだ。
でも、だからこそ、自分の文章から何を消しすぎていたのかに気づけた気もする。

次は、五反田で食べたサンマがなぜか苦かったことまで書いてやろう。
読者の役に立つかは分からない。
でも、少なくともそれは、自分がその日に感じた苦さ。

みなさんは、自分の文章に「人間味」を残せているだろうか。

SunShine!
SunShine!

最後の一文はAIっぽいな。
こんな言い回ししないもんな。

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