無知は罪なのか(「ボーっと生きてんじゃねーよ!」発言の解釈が分かれた件)

いろいろな方と接する機会をいただいております。
まさしく老若男女です。若年は未就学児から、最高齢は80歳代手前までです。
ボランティア活動をしていると、本当にいろいろな方とお話しできて、それだけでも勉強になります。
よい機会をいただき、感謝ばかりです。

「ボーっと生きてんじゃねーよ!」は
たしかに過激か

そうした中で、世の中のトレンドというものがあります。
たとえば流行語であったり、若者言葉であったり、といったことです。
まったく知らない状態から、突然新しいことを聞かされると、だれしも戸惑うものです。

そういう事態になったときに、ただ否定するだけだったり、知らないほうが悪いと言ったり、お互いにぶつかっていては何もはじまりません。
お互いの歩み寄りと、相互の理解や協力があってこその、良好な関係と活動の活性化だと考えております。

チコちゃんに叱られる

ボランティア活動でのレクリエーションでのことです。
クイズ形式で、問題と回答というかたちでのゲームがありました。

ボーっと生きてんじゃねーよ!

司会を担当する方(利用者さん)は、あらかじめ準備してある問題を読み、正解も伝える役割でした。

問題読み上げと回答は入れ子になります。
司会者と回答者のやりとりの中で、『チコちゃんに叱られる』のフレーズ「ボーっと生きてんじゃねーよ!」という発言が何回かありました。

司会者の横について様子を見守っていたのですが、特に違和感は感じていませんでした。
ただし、正解発表に際して、「ボーっと生きてんじゃねーよ!」といったセリフは不要だと考えたので、正解のみ発表するようにささやきはしました。
その後は、問題の読み上げと正解の発表のみで、レクリエーションは進行していきました。

何も知らないで聞いた時の印象

「ボーっと生きてんじゃねーよ!」という発言、およびそれをアレンジした発言に関して、その後のボランティア打合せで議題に挙がりました。
品のよい言葉ではないし不快感があったということでした。
また、それを放置していたことに関しても、懸念を伝えられました。

会議室

あらためて考えてみると、いくらNHKで放送していることとは言っても、自ずら上は過激な表現に分類されると思います。
このセリフが流行語大賞にノミネートされているとは言っても、『チコちゃんに叱られる』の視聴率がたとえ100パーセントだったとしても、セリフを知らない人はいくらでもいるものと考えられます。
そうした人たちが初めてこのセリフを聞いた場合に受ける印象は、どのようなものなのでしょう。特に、素人が真似をしている状態です。愛嬌などありません。

発言内容に関して違和感はなかったものの、徐々にアレンジ内容がエスカレートしてきていたので、止めに入ったという経緯がありました。
何も知らない人にしてみれば、このタイミングも遅く、そもそも何を言っているのかという指摘はごもっともです。

では、「ボーっと生きてんじゃねーよ!」といった発言は、最初から否定されるようなことだったのでしょうか。

「無知は罪なり」

かつて哲学者ソクラテスは言いました。

無知は罪なり、知は空虚なり、英知を持つもの英雄なり

知らないことで相手を傷つけるようなことをしてはまずい、といった解釈だったと思っています。
そして、たくさんのことを知り実践することで、人は大きくなってゆくのだといった考えでしょう。
解釈はいろいろでしょうが、大きくは外れていないと信じています。

ワークショップ

知らないことを当たり前のように物事を主張だけされても、対話に困ります。
特に今回のことに関しては、流行語大賞にノミネートされるような言葉です。そこまでマイナーというわけでもありません。

それでも、知らない人への配慮は必要であるとも思っています。
誰もが同じ知識レベルではありません。専門分野や興味の方向性が異なるのです。
知らないことを補い合ってこその人間関係だとも思います。

知っている者からの視点では、知らない者に疑問があることでしょう。
ここまで有名なことをどうして知らないのかとか、知っていて当然だろうといったことです。
それに対し、知らない者からしてみれば、知っていること前提で話が進んでしまうと辛いものがあります。
前提が整った状態で話を進めたいと考えるのは当然でしょう。

罪かどうかは置いておき

本当に罪なのかどうかという話は、専門の学問分野にお任せすることにします。
ここで何かを言ったところで、しょせんは素人考えなのです。
意見がないわけではありませんが、あまり書いてもしかたのないことです。

先に築いた信頼関係を前提として、発言や行動には、一定の何かがあると考えるようにしています。

ミーティング

はっきりと言えることは、知っている人が知ら居ない人を批判したり、知ら居ない人が知っている人を批判したりといった行為は、特に何も産みません。
建設的な議論を進めるならば、知っている人も知らない人も、お互いの歩み寄りが大切ということです。

知らないからといって、知っている人たちへの配慮を求めるだけとか、知っている人たちが知らないことを否定するとかいったことでぶつかるのではなく、どうしたらお互いにハッピーになれるのかを考えたほうが、よっぽど建設的だと思うのです。

人の感じ方はそれぞれですので、すべての人たちのことなど考えることはできないでしょう。
ましてや、そういったことのプロフェッショナルでもありません。
できることと言えば、どう感じたかを素直にフィードバックすることだけです。

ひまわり

ボランティアの仲間は敵ではありません。
個人で感じたことは、そのまま感じたことを伝えればよいのです。
そして、フィードバックされた内容に合わせて、適正な説明で済むのか、謝罪が必要なのか、制度的改善を目指すのかなど、先のことを検討するのです。
起こってしまったことをあれこれ責めても、その時のことがかえってくるわけではないのですから。

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