『糸屋の娘』は、なぜこんなに覚えやすいのか(起承転結からブログの文章を考える)

いまさらながら、「京都三条 糸屋の娘」がすごく好きだ。

京都三条 糸屋の娘
姉は十六 妹は十四
諸国大名は弓矢で殺す
糸屋の娘は目で殺す

これ、起承転結の例としてよく出てくる四行。
頼山陽が弟子に説明するために使ったという説が有名だけど、梁川星巌の逸話だという記録もあるらしいし、平賀源内だとかって話もあるみたい。
そもそも歌詞には地域や年齢などのバリエーションも多い。

起承転結がきれいすぎる

細かな由来には揺れがあるとしても、短い文章の組み立て見本として、今読んでも気持ちいいくらいにきれいだと思う。

糸屋の娘

まず、舞台と主人公を一発で出す

一行目の「京都三条 糸屋の娘」で、主人公の像がはっきりする。

京都。
三条。
糸屋。
娘。

固有名詞が重なっているのに、ごちゃごちゃしない。
むしろ「どんな娘なんだろう」と、すっと興味が向く。

糸屋の娘という言葉には、なんとなく町で評判の、近づきがたいお嬢さんみたいな響きがある。
江戸時代の糸屋は特権階級だった。
そんないいところのお嬢さん。
商いの町の中心にいる家の娘と聞けば、高嶺の花を想像したくなる。

最初の一行で説明しすぎず、読んだ側の想像に任せているのがいい。

二行目で、人物像が急に近くなる

姉は十六 妹は十四」。

ここで、ぼんやりしていた「糸屋の娘」に情報が追加される。
三姉妹なんだ。
年齢は十五なんだ。はっきり書かないところもいい。
当時は結婚適齢期。お相手探しはどおなんだろうと、想像が掻き立てられる。

数字ふたつからひとつの答えを表現する。
ここもかっこいいと思う。
表現のバリエーション。

最初にテーマだけを置いて、次の一文で具体的な人、場面、数字を出す。
すると読者は「それで?」と話に入っていきやすいってことか。

起で興味をつくり、承でその興味に手触りを与える。
この二行は、派手じゃないけどすごく大事な仕事をしてる。

三行目の急カーブは、ただの脱線じゃない

そして突然、こう来る。

諸国大名は弓矢で殺す

糸屋の娘、どこへ行った?
となる。

脱線したように見える。
話題を大きく飛ばすからこそ「転」だということ。
転は、前の話を少し横にずらして、読者の興味をさらに引く場所なんだと思う。
付帯情報でもある。

もちろん江戸時代の日本では、大名同士が日常的に弓矢で戦っていたわけではない。
とはいえ250ほどの諸藩が武士を抱え、武具を備えて稽古を欠かさなかった。戦支度は保っていた時代。
当時はある意味身近な存在の武士や大名。彼らは武器で人を倒すよね、という大きくて強いイメージを借りているんだろう。

大事なのは、この急カーブが、結びのための仕込みになっていること。

「目で殺す」で、四行全部がつながる

最後の一行。

糸屋の娘は目で殺す

大名の「弓矢で殺す」を受けながら、話は一行目の糸屋の娘に戻る。
しかも、娘たちは武器を持たない。
町人だし。
エリート階級だから守り刀くらいは持ってたかもだけどね。
それはさておき、目で殺す

流し目ひとつで男たちを夢中にさせてたんだろう。
今なら上目遣いとかってことになるのかもしんないけど。
町の男たちは、すれ違うだけで悩殺されちゃってたんだな。
250人なんてもんじゃないかもしれない。

別の解釈として、「目で殺す」には糸の目方をめぐる商いの言葉が重なっている、という見方も紹介されてる。
けっこうなやり手ってことだ。商売上手。
こういう余白があるのも、昔の歌らしくて面白い。

一度は遠くへ飛んだ話が、最後に戻ってきて、しかも最初より印象深く終わる。
結は要約ではなく、前の景色を見直させる一撃なんだなと思う。

ブログは「結論から」だけじゃなくていい

ビジネス文書では、結論から書けと言われる。
それは正しい。
忙しい人に、必要なことを素早く伝える文書なら、結論が先にあるほうが親切だ。

でも、ブログはビジネス文書じゃないからね。

情報を渡すだけの場所じゃない。
書き手が見つけた面白さを、読者と一緒にたどる場所でもある。
だから最初に小さな違和感や景色を置いて、少しずつ話を膨らませ、意外な方向へ曲がって、最後に「ああ、そういうことか」と着地してもいい。

起承転結を毎回きっちり当てはめる必要はないと思う。
でも、書いていて話が平坦になったときは、この四行を思い出したい。

最初に誰を出す?
次に何を具体的にする?
どこで読者を少し驚かせる?
最後に、何を持って帰ってもらう?

この順番で考えるだけでも、文章はちょっと楽しくなる。

きれいな文章は、読者を置いていかない

「京都三条 糸屋の娘」は、短いのに、読んだ人を置いていかない。

一行目で連れていき、二行目で親しくし、三行目で驚かせ、四行目でちゃんと回収する。
読者の気持ちの動きが設計されている。

きれいな文章を書こうとすると、つい難しい言葉や、気の利いた言い回しを足したくなる。
でも本当に大事なのは、読んだ人が自然に次の一文を読みたくなることなのかもしれない。

糸屋の娘たちは、たぶん今日も目で殺している。
そしてこっちは、四行の文章に、何百年もきれいにやられている。

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