二子玉川で多摩川に架かる橋は2つ。自動車用の二子橋と、東急線(田園都市線と大井町線)の専用橋梁。
かつては、二子橋が併用軌道橋だった。当時、現在の田園都市線は、路面電車の玉川線。
そんな歴史をめぐる街歩き。
旧二子橋親柱
二子玉川あたりをぶらついた第2目標だったんだ~
第1目標はラーメン。第3目標(追加)が赤煉瓦の陸閘。
あとは現行の堤防と河川敷の様子を見て、ライズを眺めるって感じでw
初代 二子橋の親柱
1925(大正14)年に、二子橋ができたとさ。
「親柱」てのは、橋の始まりのところにある太い柱のこと。
ここに、橋の名前とか竣工時期とかが彫られてるね。
大正期の構造物!
御影石なんだって。
現在の二子橋は、当時のモノから拡張されたもの。
初代の橋には、二子玉川から溝の口まで延伸した玉川線が走ってた。
初代の田園都市線。
電車の名前のことになると、特に東急のこの辺りは入れ替わりが激しいから、割愛。
246号線の分かれ目にひっそりと佇んでいる。
路面電車の玉川線
渋谷から併用軌道で走ってた玉川線。
資料が残るだけだね。。
支線で専用軌道だった世田谷線が残ってるだけか。
二子玉川まで開通してて、その後、溝の口まで延伸した。
大正までは渡し船だったんだよ。
架橋の費用は、鉄道側もけっこう持ったみたい。
だから、橋の上を電車と自動車がいっしょに走ってるんだね。
けっこう長い距離。ちょっと怖いかも。
耐荷重とかも大変だったろうに。
年表と合わないが・・・
きれいに説明版がついてるな~、なんて見てた。
写真があって分かりやすい。
ん?親柱に誰かぶつかったのか??
頭がズレてるじゃないか!!w
撮影は、1965年4月3日とある。
・・・あれ??
1939年から電車は専用橋へ移ったと書いてあるが。。
矛盾。。
ダウトぉ~
調べてみると、専用橋梁に移ったのは1966年4月1日。
撮影日とは合致する。
「1939」ってどっから出てきたんだろうw
構造上は併用だけど、運用上は分離、専用化してたとかかな。
川崎側の「ふたごばし」親柱
二子玉川散策だったので、ここにあるやつだけしか見なかったんだけど。
当然、反対側もあるよね。
標識みたいな碑みたいなのがあるからGoogleマップに載ってんだろうな。
調べてみると、ちゃんと載ってるんだけど。
名前が違う。。
「ふたごばし」とある。
写真を見ると、どっちもひらがな表記。
普通に考えれば、この読みが正しい。
二子玉川側の説明版は、読み方も間違えてることになる。
あと、柱の組み合わせもおかしくないか?
現在の二子橋
現在は、車専用の橋と電車専用の橋になってる。
電車用の橋梁は、田園都市線と大井町線の複々線区間。
車道は国道246号線の旧道。
片側1車線と、線路側に歩道。狭い。。
川上側に、もっと広くて大きな橋があって、こっちが新道。
片側2車線と、両側に歩道。
架橋前は渡し船
多摩川は、古くから暴れ川と言われてた。
それから、江戸を守るための天然の堀でもあった。
てなわけで、大山街道の二子の渡しがあったところ。
明治から大正にかけても、渡し船での往来だったんだね。
川が増水すると渡れないって。不便だな。。
そんな話とか、堤防計画とかも、みんな大正から昭和初期に解消されたんだな。
(堤防の話はつい最近かw)
触り放題の遺跡
写真を見ると、色がついてたのか、きれいにメンテナンスしてたのか、竣工の文字が浮いてる。
大正期の建築物の一端を触り放題~
いい遺産だ!
きれいに保存されてるんだけど、説明の内容にやや雑さを感じた。
親柱の組み合わせにも違和感。
漢字 + ひらがな と 竣工年 + ひらがな ってほうがしっくりくるよね。
説明文には直しが必要と思われます。
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